24歳にして癌で亡くなったカメラマンの話 [死と向き合う]
私の本棚に一冊の写真集があります。
若本俊雄写真集「白鳥」生命の賛歌という写真集です。
彼は報知新聞社の契約カメラマンで高校野球などの報道写真を撮りながら、ライフワークとして猪苗代湖などで、白鳥の写真を撮っていました。
平成2年3月に余命1年の宣告を受け、抗がん剤治療を始めますが、平成3年1月には苦しい副作用に耐えながら、猪苗代湖へ撮影に出かけます。医師の判断を無視しての自殺行為です。
平成3年3月下旬に白鳥の撮影を終え、4月に亡くなっています。
白鳥は渡り鳥なので、3月に日本を旅立っていくのです。
彼も白鳥たちとともにこの世を旅立って逝きました。
「医師の判断を無視した自殺行為」と書きましたが、そうしなければ彼のライフワークは成し遂げることができなかったのだと思います。仮に医師の言うとおりに治療を続けていたら、おそらく二度と白鳥の撮影ができなかった可能性があります。私は彼の判断は正しく、それもギリギリまで、納得がいくまで、自分の生命をコントロールしたのだと思います。
「生きる」ということの価値は、その時間の長さで決まるものではなく、「何をしたいか」という、その人だけの固有の価値観によって「人は生きるべきもの」だと思います。「生きることの価値観」は本人以外には解らないことであり、本人の意思が最大限尊重されるべきだと思います。そのためには医師も、家族も、その他の関係者も自分たちの立場を超えて、患者に協力しなければ、患者が我慢をする或いは犠牲になることになります。それだけは止めるべきです。そうしないと彼のように自殺行為を決行するしかなくなってしまうのです。
私がこの写真集を購入したのは、おそらく平成7年頃だったと思います。結婚する前に、白鳥など野鳥の写真を撮っていた時期がありました。本屋で偶然出会ったこの写真集に感動し、思わず購入したのだと思います。
20年後、まさか、自分が癌になることなど全く考えていませんでした。
今、死と向き合った彼の気持ちが良くわかります。
私は何故この写真集を買ったのか、そして、結婚や子供達の成長を見守りながらも20年間、この写真集を大切にしてきたのか、私は彼のようになりたいと思ったことはないのに・・・・・・
昨年、私も初めて写真集を作りました。子供たちの部活の写真集です。
薄暗い体育館で動きの速いスポーツの決定的瞬間を一眼レフカメラで連射する快感、これが私の唯一のストレス解消手段でした。
長男の高校受験も峠を越え、超難関私立校に見事に合格しました。
息子は父を超えました。もう、心配することはありません。
父は自然派カメラマンに今一度戻って、ライフワークといえる写真集を作りたい。
そのためには自殺行為も覚悟するつもりです。
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