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「同治と対治」 [死と向き合う]

今日、インターネットで偶然に「同治と対治」という言葉を見つけました。
病気になってから、ずっと「頑張らない」というテーマが頭から離れず、このサイトの過去記事でもそのことについて自身の考えを記しています。
 
その答えに繋がる言葉を見つけましたので、紹介したいと思います。
 
仏教に「同治」と「対治」という教えがあるそうです。
「治」とは、いわゆる治療を意味するわけですが、「対治」とは、たとえば発熱に対して、氷で冷やして、熱を下げようとすること。
これに対して、「同治」は温かくして汗を充分にかかせて熱を下げることだそうです。
 
悲しみのどん底にある人に「もっと元気を出せ」、「負けるな」、「頑張れ」と激励し、立ち直らせようとすることは、「対治」です。
 
一方、「辛いだろう、よくわかるよ」と悲しみを分かち合い、心の重荷をおろしてあげるのが、「同治」です。
 
 「対治」は否定です。悪を否定する。病気を否定する。たとえば「がん」を悪として切除し、抗がん剤で叩き潰す。
 
「同治」は「がん」を受け入れる。受け入れるということは多くの場合、「死」を意味することになるでしょう。
 
ところが、受け入れることで「がん」がなくなるという事例があるようです。
 
私はこの病気になって、セカンドオピニオンを受ける時間もなく、病理確定を待ち、確定後、すぐに抗がん剤を投与しました。まさに「対治」したのです。
 
こととき、「同治」していたとしたら、間違いなく生きていなかったと思います。
 
しかし、「老衰」を考えると、 死ぬしか道のない者に「死ぬな、もっと生きろ」と言って延命治療の限りを尽くすのは、生きるしか道のない者、つまり死にたくない者に「死ね」ということと同じだと思うのです。
 
「老衰」で死に往く者には「人生をよく頑張ってきたね、もうよいのだよ」と「死」を受け入れてあげるべきだと思います。
 
つまり、「同治」です。
 
 

 
 


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キャンサーギフト [死と向き合う]

闘病中の友人からきたメールにあった言葉です。

調べてみたら、、「がんになって得られたこと」をさす言葉だそうで、

がんになることは、不幸なこと「だけ」じゃない。

「Canser gift(キャンサーギフト) がんって不幸ですか?」というドキュメンタリー

が大反響を呼んでいるそうです。

がんになって、はじめて見えてくる命の大切さ、時間の大切さ、回りの人々の暖かさというものがある。

それは、がんがくれた贈り物ということのようです。

「キャンサーギフト」の内容は私も体験し、自身の考え方も大きく変わりました。

しかし、私は「贈り物」ではないと思います。

日本人には馴染みにくい言葉のような気がします。

意味は良くわかりますし、同感しますが、

この表現には違和感を感じてしまいます。


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同窓会で新展開 [死と向き合う]

昨日、高校時代の同窓会に参加しました。

4年ぶりの開催です。

近況報告ということで、悪性リンパ腫に罹患したことを告白したのですが、

スピーチをしている間に「死にたくない」という感情がこみ上げてきました。

スピーチをしながら自問自答していました。

「おまえは、死ぬ覚悟はできていたんじゃなかったのか?」

これまで顕在意識の中に「死にたくない」という感情は存在しなかったのです。

社会復帰した時も「死ぬ覚悟はできている」という気持ちで臨みました。

しかし、同級生達の前で、「死にたくない」という潜在意識が目覚めてしまったようで、

自分でも意外でした。

また、同級生の中に、20年前に私と同じタイプの病気になったという人がいました。

日本人には非常にめずらしいタイプの病気なのに、

自分の知り合いに同じ病気の経験者がいたことに、たいへん驚きました。

その方は抗がん剤治療後、20年間再発していないということでした。

その話を聞いて、死にたくない感情に拍車がかかりました。

さらに、日赤に勤められていて、血液センターでの経験が多く、

血液疾患の知識や人脈が豊かな方もいました。

再発した時には相談できそうです。

そして、私は次回の同窓会の幹事になりました。


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危険年齢(54歳) [死と向き合う]

川島なお美さん(胆管がん)も今井雅之さん(大腸がん)も、私と同じ年齢(54歳)だったようです。

7月に亡くなった任天堂の岩田氏(55歳)も確か胆管腫瘍だったと思います。

川島さんは民間療法、今井さんは抗がん剤治療を行ったようです。

お二方ともたいへん魅力的で、個性的なお人柄だったようです。

治療法は異なる選択をされたようですが、お二方とも、かなりお痩せになっていました。

生き方(死に方)は、自分で決める、自分らしく、それしかないのでしょう。

謹んで哀悼の意を表します。


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黒から脱出したい [死と向き合う]

前に、今年の年賀状の背景を黒にした話を記しましたが、

やはり、黒からなかなか抜け出せないようです。

今日は自転車で写真撮影に出かけましたが、

撮れた写真はカワウ(黒)、彼岸花にカラスアゲハ(黒)

病気になってから、何故か、黒ばっかりになってしまうことが多いです。

ネットで見つけたアウトレットの洋服を買おうかと思ったのですが、

私のサイズは色が黒しか残っていませんでした。

買うのをやめました。

黒に支配されているような気がしてなりません。

色と運命は何か関係があるのでしょうか。

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任天堂の岩田聡氏、残念 [死と向き合う]

私より1歳年上の偉人です。

うちの子供たちも3DSで大変お世話になりました。

長男が壊してしまった時、無償で新品と交換していただきました。

子供たちにたくさんの夢を与えてくれました。

栄光の後に苦境あり、頑張りすぎたのでしょうか?

スティーブ・ジョブスの死を想い出します。

ジョブス氏56歳(膵臓がん)、岩田氏55歳(胆管がん)、私54歳(悪性リンパ腫)、

人生をやり遂げる年齢かもしれない。

第二の人生を歩むか否かの曲がり角?

二人ともこの世に生まれてきた使命を成し遂げ、人生を卒業されたのでしょう。

たいへん残念ですが、お疲れ様でした。

ありがとうございました。


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大腸がんで亡くなった同僚を想い出す [死と向き合う]

昔、大腸がんで亡くなった同僚を何故か想い出した。

それほど、付き合いがあったわけではないが、印象深い想い出がある。

彼は、人間ドックで精密検査の指示が出たが、仕事が忙しくて病院に行かなかったそうだ。

具合が悪くなって、病院に行ったときには末期がんで、完全に手遅れだったらしい。

反社会的勢力がしばしば訪れる部署があり、彼がその部署にいた時に、飲み会で話したことがある。

「たいへんな部署なんだって・・・」、すると彼は、「自分で希望したんだ。」

私、「どうして、・・・」

彼、「みんなが嫌がる部署へ、異動希望を出すことにしている」と・・・

彼は凄く仕事ができる優秀なタイプというわけではなく、努力家タイプだった。

しかし、その日以来、私の彼を見る目が変わった。

彼の男らしさを尊敬せざるを得なかった。自分は年下の彼に勝てないと思った。

死ななくても良かったのに・・・

でも、こういう生き方が、彼のこだわりだったのだと想う。

そして、彼は後悔せずに死んだのだと想う。

自己満足して死んだのだと思う。

結局、人生とは自己満足に尽きるのではないだろうか?

私は自己満足して死ねるだろうか?

⇒ ”NO”

中途半端な人生を送っているような気がしてならない?

死ぬときは、謙虚な方が良いのか?わがままな方が良いのか?


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読書「穏やかな死に医療はいらない」 [死と向き合う]

点滴、酸素吸入、胃ろう、抗がん剤・・・・・は、本当に必要だったのだろうか?

外科医から人生の幕引きにかかわる「在宅緩和ケア医」に転身した医師の本音が語られています。

著者の外科医時代には、治る見込みのない患者や自然な死が近づいているお年寄りにまで、同じような治療をしていたそうです。

食欲がなくなったら点滴、呼吸が苦しくなったら酸素吸入、食事ができなくなったら胃ろう、それが当たり前だったけれども、患者を苦しめていただけではなかったかと・・・・

病院で穏やかな死を遂げることは難しく、穏やかな死に医療はいらないと言う。

患者や家族は、お医者さんに任せれば間違いないと思っているが、病院の医師は治療を続けて亡くなったケースしか知らない。治療をやめて死ぬケースを知らないという。

何故なら、「病院は病気を治す場所」だから・・・・・、フルコースの延命治療を目指す場所でもある。家族もできる限りの治療を望むケースが多いのだという。そして、危篤の時間を先延ばしし、患者は苦しみ続ける。

特にがん治療については、治療の効果より苦痛が上まわったら病院から逃げた方が良いという。医師に治療をやめたいと言えば、「治療をしないともっと苦しくなりますよ。」、「早く死んでしまいますよ。」と言われ、怖くなって苦しいだけの治療を続けてしまう。病院から追い出され、見放されてしまうことへの不安もある。

しかし、多くの医師は治療をやめたらどうなるかを知らない。そのうえ、治療を続ければ必ず治るとは言わない。

点滴はむくみをつくり、呼吸を苦しくする。枯れるように痩せていきながら亡くなる「老衰」といわれる死に方が、最も自然な人間の生き方であり死に方だと言う。

死を認めれば、死は苦しくなく、少し長く生きられる。

死を認めなければ、死は苦しく、命は短くなると言う。

抗がん剤は、がんを退治する薬ではなく、がんを退治できる可能性に賭けるチャレンジの薬だと言う。抗がん剤には中止のタイミングがあり、中止のタイミングが良ければ最大の延命効果がある。そのタイミングは効果と副作用が逆転し、副作用から回復しなくなる時だと言う。そのタイミングを逃すと死に向かってしまう。なんとなく解る。死に至る副作用と戻らない後遺症のことだと思う。

在宅緩和ケアは治す治療ではなく、患者と家族の心を診る医療だと言う。死を受け入れる大切さ、最後の日まで生きることの大切さを理解してもらうこと・・・・・

終末期になったら、治療の止め時を自分で見極めることが必要。医師や家族の意見は参考にしても、最終的には自分自身で決断すること。

医師から「こんな状態では帰せない。」と言われても、在宅医療のサポートがあれば家で過ごすことは可能。自宅に帰りたくなったら、帰る。

信頼できる在宅医療スタッフを早めに見つける。症状が悪化したり、意識状態が悪くなったりしたときは、救急車ではなく在宅医療スタッフを呼ぶ。

口から食べられなくなったら、人工栄養や点滴は望まない。

自分の体の訴えに素直になり、「身体にいいこと」ではなく、「心にいいこと」、「身体が望むこと」をする。

なかなか、参考になる内容でした。おすすめです。

この本を読んだ後に、私の地域の緩和ケア施設等について調べてみましたが、緩和ケア病棟のある病院の情報ぐらいしか出てきませんでした。しかし、今後、再発した場合には病院と緩和ケアとの連携を重視して、病院を選びたいと思います。この本の医師のような在宅緩和ケア診療所はどこにでもあるというものではなさそうです。

いつか、必ず必要になる問題だと思います。


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猛省しています [死と向き合う]

病気になってから猛省しています。

1) ハゲている人をバカにしてごめんなさい。→ 抗がん剤の副作用による脱毛を経験し、猛省しました。

2) たくさんの嫌いな人に「早く死ね」と陰口を言ってきました。→ 自分が死にそうになり、猛省しました。

3) 恨んでいた人がいました。→ 恨んでも何も良いものは生まれないので止めました。

4) 組織で出世したいと思っていました。→ 自分には出世が似合わないことを悟りました。(復帰して自らの人徳の無さを痛感しました。職場の仲間は自分から離れて行きました。実に情けない一匹狼でした。)

5) 真実や本音を語らない人は卑怯者だと思っていたため、毒舌だと言われてきました。→ 発言する前に一度、飲み込むことにしました。

以上、5月7日までの猛省です。


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大嫌いな言葉「治療に専念してください」 [死と向き合う]

大嫌いな言葉、

「治療に専念してください」

つまり、「治療以外のことはしないでください」 ということか?

何故だ?

「もう、貴方には社会的価値は無いのですから・・・」 ということか?

そう、俺には、もう、信用が無いのだ。

病気が再発して、いつ入院するか、いつ死んでしまうのか、わからない人だから・・・・

こんな奴に、人を管理するような立場を任せるわけにはいかない。

組織が混乱を招く可能性が高いから・・・・・

誰だって、いつ死ぬかなんて、わからないのに・・・・・

脳梗塞、心筋梗塞、事故、自殺、他殺・・・・・。

そう、これらは治療に専念できない。

死なない限り許されないようなものだ。

「治療に専念してください」 という言葉は、

戦力外通告なのである。

つまり、「早くやめてください」 と同じ意味なのだ。

「社会的に早く死んでください」 とも聞こえてくる。

「人間社会は使い捨て」 なのである。

「治療に専念してください」という言葉の先には、何があるのだろうか?

「仕事に専念してください」、「〇〇に専念してください」、という言葉が待っているとは思えない。


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24歳にして癌で亡くなったカメラマンの話 [死と向き合う]

私の本棚に一冊の写真集があります。

若本俊雄写真集「白鳥」生命の賛歌という写真集です。

彼は報知新聞社の契約カメラマンで高校野球などの報道写真を撮りながら、ライフワークとして猪苗代湖などで、白鳥の写真を撮っていました。

平成2年3月に余命1年の宣告を受け、抗がん剤治療を始めますが、平成3年1月には苦しい副作用に耐えながら、猪苗代湖へ撮影に出かけます。医師の判断を無視しての自殺行為です。

平成3年3月下旬に白鳥の撮影を終え、4月に亡くなっています。

白鳥は渡り鳥なので、3月に日本を旅立っていくのです。

彼も白鳥たちとともにこの世を旅立って逝きました。

「医師の判断を無視した自殺行為」と書きましたが、そうしなければ彼のライフワークは成し遂げることができなかったのだと思います。仮に医師の言うとおりに治療を続けていたら、おそらく二度と白鳥の撮影ができなかった可能性があります。私は彼の判断は正しく、それもギリギリまで、納得がいくまで、自分の生命をコントロールしたのだと思います。

「生きる」ということの価値は、その時間の長さで決まるものではなく、「何をしたいか」という、その人だけの固有の価値観によって「人は生きるべきもの」だと思います。「生きることの価値観」は本人以外には解らないことであり、本人の意思が最大限尊重されるべきだと思います。そのためには医師も、家族も、その他の関係者も自分たちの立場を超えて、患者に協力しなければ、患者が我慢をする或いは犠牲になることになります。それだけは止めるべきです。そうしないと彼のように自殺行為を決行するしかなくなってしまうのです。

私がこの写真集を購入したのは、おそらく平成7年頃だったと思います。結婚する前に、白鳥など野鳥の写真を撮っていた時期がありました。本屋で偶然出会ったこの写真集に感動し、思わず購入したのだと思います。

20年後、まさか、自分が癌になることなど全く考えていませんでした。

今、死と向き合った彼の気持ちが良くわかります。

私は何故この写真集を買ったのか、そして、結婚や子供達の成長を見守りながらも20年間、この写真集を大切にしてきたのか、私は彼のようになりたいと思ったことはないのに・・・・・・

昨年、私も初めて写真集を作りました。子供たちの部活の写真集です。

薄暗い体育館で動きの速いスポーツの決定的瞬間を一眼レフカメラで連射する快感、これが私の唯一のストレス解消手段でした。

長男の高校受験も峠を越え、超難関私立校に見事に合格しました。

息子は父を超えました。もう、心配することはありません。

父は自然派カメラマンに今一度戻って、ライフワークといえる写真集を作りたい。

そのためには自殺行為も覚悟するつもりです。


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病気の予感と新たな人生 [死と向き合う]

入院してから気が付いたこと。
首筋のしこりを発見する14か月前に県民共済のがん特約を追加契約していた。
自分でもすっかり忘れていた。何故、特約を追加したのだろう。明確に意識した記憶はないが、自ら契約したことに間違いはない。正直なところ、入院中に「助かった」、「幸運だった」と思った。
近年5年を振り返ると仕事がかなりハードであったため、体を壊すかもしれないという自覚があったのだと思う。
今年の4月も、去年4月も全く自分の経歴とは異なる部署への人事異動が続いた。
それ以前にも組織として初めての営業活動を構築したり、技術職として採用されながら事務職向けの部署に配属されることが多く、残念ながら部下を育成する機会には恵まれなかった
異動の度に、私には行き詰った懸案事項の後処理ばかりが廻ってきた。

ただ単に、泣き言を言っているだけに過ぎないが、もう、今しか語れない。

今年度末で勤続30年、あと6年で定年を迎える予定だった。
今、素直に分析すると、昨年の時点で疲れ切ってしまい、なんとなくがん保険の特約を付けたのだと思う。

もうそろそろ、自分は壊れるかもしれないと・・・・・・

そして、今年の人事異動でとどめを刺されてしまった。
実際のところ、首筋のしこりに気が付く前までは必死で仕事を進めていたのに、リンパ節の異変に気が付く頃から仕事の能率が悪くなった。
今日はここまではやっておかないと・・・・遅くとも今週中にはこの対策を講じないと・・・先を読んでいるのに、なぜか思うように仕事が進まなくなってきた。
サポートしてくれる有能な部下が、もう一人いればなあ・・・・・。
なんて、完全に戦線離脱モードになっていたような気がする。

この病気の診断結果が確定してから、もう仕事のことは考えないようにすることにした。

とても恥ずかしいことだけど、もう、あきらめた。

自分でなければ、できない仕事なんて無い。自分の替わりになる人材はいくらでもいる
もう、今の仕事は疲れてしまった。

しかし、家族には打ち明けられなかった。「仕事を辞めてもいいか?なんて・・・・・・」

仕事から逃げるために自ら病気になったのかもしれない。

日本人で10万人に1人の難病になれば、仕事を辞める立派な言い訳にもなりうる・・・・・

それとも、ご先祖様か守護霊が「もう仕事はしなくても良い。」と助けてくれたのかもしれない。

もう人間を卒業しても良いぞと・・・・・

もう、発病前には戻れない。

発病前の生活を取り戻したいとも思わない。

闘病以外に、新たな、人生を始める決意を固めた。

死ぬ前に、もう一度、生まれ変わりたい。

でも、何ができるのだろう?




 


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