読書「医者が教える幸せな死のかたち」 [読書]
◎まずは、死に場所一覧です。
【病院】
【施設】 ①特別養護老人ホーム、②介護老人保健施設、③介護療養型医療施設
【在宅】 ①自宅、②有料老人ホーム、③サービス付き高齢者向け住宅、④養護老人ホーム、⑤グループホーム、⑥軽費老人ホーム(ケアハウス)
◎次に持病ごとの安らかに死ぬポイント
【がん】 医療保険を制限なく使える
【認知症】 訪問介護サービスの利用
【脳血管疾患】 リハビリで機能回復
【心疾患】 かかりつけ医
【肺疾患】 呼吸コントロール
【神経難病】 転倒予防
【腎不全】 水分管理
◎在宅看取りの注意点
【かかりつけ医】 かかりつけ医の死亡診断書が必要。死亡の24時間以内にかかりつけ医が診察していれば、死亡に立ち会っていなくても診断書の発行ができる。
かかりつけ医がいない状態で亡くなる ⇒ 「変死」 ⇒ 警察 ⇒ 「検死」 ⇒ 「死体検案書」
【訪問診療(訪問看護)が必要】 在宅療養支援診療所なら安心。
※このように非常に具体的な死のかたちや看取りの事例が紹介されています。
読書「がんの最後は痛くない」 [読書]
一般に、がんは「終末期に激しい痛みが襲う病気」と思われているが、在宅緩和ケア医の著者は、それは大いなる誤解だという。
著者の経験によれば、最後まで痛みが出ない患者も多く、痛みが出てもほとんどは鎮痛剤で和らげられ、「七転八倒の苦しみ」を味わうことはないのだという。ところが、そんな痛みが出るはずがないのに七転八倒する人がいる。
患者にも、病院の医師にも「がんは痛い」という先入観があり、がん以外の痛みをがんの痛みだと思い込んだり、がんの痛みがやってくるはずだと思い込み、痛みを増幅してしまうケースがあるらしい。
特に終末期の患者は、死が近づいてくると「痛くなるはずだ」と思い込み、その通りになってしまうケースが少なくないらしい。病院の医師も、終末期の患者に対しては痛みを除去するための投薬ばかりを考え、患者の不安を除去することには意識が向かないケースが多いらしい。自分の体の状況に関する情報が得られない患者は、痛みに対する恐怖を勝手に増幅していくようになってしまう傾向があるようだ。
信頼できる緩和ケアの必要性を強く感じた。
読書「もう、不満は言わない」 [読書]
この本の趣旨は、21日間不平不満を言わないこと。この習慣を身に着けることで幸せになれる。というものです。
方法は、不平不満を言ってしまったら、腕にはめたブレスレットをもう片方の腕にはめ替え、また1日目からやり直すというものです。
この本を読んで、「不平不満を言うことが、どれほど自分の周りの人に悪影響を及ぼしているか?」 と言うことを一度、良く考えるべきだなと思いました。
不平不満ばかり言っていると、そのような出来事が、ますます自分に反映され、悪循環に陥るのではないか?これはたいへん恐ろしいことだと思います。
自分が「不平不満を言っていないかどうかを意識するだけで、人生が豊かになる」ということには同感できます。
翻訳本と言うこともあり、宗教的な思想も含まれているようで、体験談の中には理解できない話もいくつかありました。
不平不満をネタに盛り上がるケースもあると思いますが、「いじめ」の原因になりうると感じました。
私は病気になってから、意識が変わっています。昔は不平不満ばかり言っていましたが、一度、死を意識してからはあまり不平不満を言わなくなったような気がします。不平不満を想うことはあるのですが、発言することは少なくなりました。病気になって、周囲の人から避けられているせいかもしれませんが・・・
ただ、「不平不満を言わない」だけで良いのか?と言う疑問もあります。
「平不満を言わない」ことが、「見て見ぬフリをすること」 になってしまっては本末転倒だと思うのです。
これからは、不平不満を聞かされる人の立場になって、発言すべきかどうかを意識していきたいと思います。
読書「生と死の謎に挑む」NHKスペシャル [読書]
2009年に放送され、その後、大反響があったNHKスペシャル、立花隆 思索ドキュメントと一体編集されたものだそうです。
立花氏が追及したこと、それは「人類はどこまでがんを理解しているのか?」というテーマだった。
その結論は「発がん研究について、かなり多くのことは分かってきたが、確かな答えはまだ得られていない。」
1971年、(米)ニクソン大統領は国家的政策目標として「がん克服」を掲げ、10年以内に人類最大の難病、がんを征圧するべく一兆円を超す国家予算を投じた。しかし、44年が経過した現在でも、がん征圧のゴールは見えず、がんをめぐる様々な謎は一層深まり、がん研究は混迷の度合いを深めている状況らしい。
著者は、「時間はかかろうとも、いずれ、人類はがんを克服するであろう。しかし、筆者の眼の黒いうちにそれが実現することはない。」と締めている。
そういうことから、がんを告知されたばかりの人や若い人には、この本をお勧めすることはできない。治癒に関する希望が持てなくなるから・・・。しかし、がん手術、抗がん剤治療、放射線治療等の経験者にとっては最良の一冊だと言える。
がんは、本質的にその人の遺伝子に蓄積した変異の積み重ねであり、その人の個性そのものであり、患者個人の歴史を反映したものである。個人個人が違った人生を歩んできたように、その人のがんも違った人生の反映なのである。同じがんは2つとないということらしい。
抗がん剤の恐ろしさ。抗がん剤が骨髄に作用し、血液をつくる造血幹細胞を襲う。血液成分は寿命が短く、白血球の好中球の寿命はわずか2~3日だそうである。白血球の減少により、感染症を引き起こし、副作用死が発生する。
がん化とは、浸潤の有無であり、良性腫瘍が浸潤を始めると悪性腫瘍になったと判断するらしい。
人間は60兆個もの細胞を持つ多細胞生物の進化の極致にある生物である。がんは、産業社会が生んだものではなく六億年前から存在する。ライフスタイルの変遷により、がんになる割合は変化したとしても、がんは多細胞生物にとって本質的で先天的な宿命の病だそうである。
また、著者自身もがん患者(膀胱がん)であり、TBSニュースキャスターの筑紫哲也氏(肺がん)、ノーベル賞受賞候補の物理学者、戸塚洋二氏(大腸がん)、俳優、松田優作氏(膀胱がん)などの壮絶な闘病を知ったうえで、「僕はがんばらない」と明言している。
私の考えは、立花氏にほぼ同調した。
読み比べ 「患者よ、がんと闘うな」、「抗がん剤は効かないの罪」 [読書]
乳房温存療法のパイオニアとして知られ、かつて文芸春秋の連載で、がん治療の常識や社会通念に異議を唱えた慶應義塾大学医学部放射線科医「近藤 誠」氏の代表作「患者よ、がんと闘うな」と、近藤氏に対する反論をまとめた、日本医科大学腫瘍内科医「勝俣 範之」氏の「抗がん剤は効かないの罪」を読み比べてみました。
まず、近藤氏の本を一般の素人が読み進むと、ほとんどの内容に感心させられてしまうのですが、氏の主張を全面的に受け入れることには、素人なりに強い違和感を感じます。氏の主な主張は、①手術はほとんど役に立たない。②抗がん剤治療に意味のあるがんは全体の一割。③がん検診は百害あって一利なし。④がんは今後も治るようにならないだろう。⑤がんもどき理論(がんは転移する本物のがんと転移しない「がんもどき」がある。本物は早期発見できる5mmの大きさの時には既に転移している。「がんもどき」は5cmでも転移しない。本物は早期発見して手術をしても既に転移が始まっているので治らない。がんもどきならば、手術をしなくても転移しないので、がんを切除する必要がない。)というようなことが書いてあります。
一方、勝俣氏は、近藤氏の功績を認めつつ、臨床試験データのねつ造を指摘する近藤氏の誤解に関する解説、抗がん剤の目的には治癒と延命がある、分子標的薬の時代、専門医不足のため「副作用死」が起こっている、緩和ケアの治療効果など、腫瘍内科医らしい視点が盛り込まれていて、非常に参考になりました。
私自身は、ホジキンリンパ腫で抗がん剤投与と放射線照射の併用療法を受けましたが、近藤・勝俣両氏が言うように抗がん剤が非常に良く効く病気でしたので、標準治療(多剤併用化学療法+放射線療法)の選択に迷う余地はありませんでした。抗がん剤は非常に良く効きましたが、放射線治療が効いているかいないかは、全くわかりません。しかし、抗がん剤も放射線も副作用が酷かったので、もし再発した場合にはどちらの治療も拒否する可能性があります。
両者の本を読み比べて感じたことは、この二人の医師は、本来の専門領域が違うということです。近藤氏は放射線科医出身であり、本の中でも放射線治療の選択やその有効性についても述べられています。勝俣氏は腫瘍内科医で、がん診療全般の総合ナビゲートを目指し、分子標的薬や最先端の重粒子線治療や陽子線治療の注意点などにも触れ、ホスピスケアとの連携までも視野に入れています。
勝俣氏の本の中で印象的だったのは、日本では抗がん剤専門医の不足により10%以内の「副作用死」が起こっているという現実。抗がん剤の副作用の中で医学的に最も問題となるのが白血球の減少であり、感染症が発生した場合の対応が適切に行われず死に至るケースがあるということ。腫瘍内科医の数が日本には876人(2013年)しかおらず、圧倒的に抗がん剤専門医の数が足りないこと。その割合は米国の約1/16(日本の人口は米国の約1/2.5)、腫瘍内科医の専門制度は欧米より30年も遅れているという。
日本では、がんの手術適応を外科医が単独で決めることが多く、抗がん剤治療も外科医が行うことがほとんどだという。勝俣氏は外科、放射線科、精神腫瘍科、緩和ケア科、腫瘍内科と複数科によるチーム医療の必要性を唱える。それは、がんが再発・転移した場合には全身疾患となり、全身的なマネジメントが必要になるからだという。抗がん剤や放射線治療の副作用を体験した患者ならば、身をもって体験していることなので非常に良く理解できることだと思います。
私の主治医は血液内科医であり、自ら抗がん剤の専門医だと明言していました。私が通院している大学病院では、チーム医療的な連携は図られていたのですが、時々、各科のセクショナリズムに悩まされることがありました。
私は勝俣医師に、がん患者に対するチーム医療の充実、腫瘍内科医の育成と増員、緩和ケアとのさらなる連携促進を期待します。日本医科大学武蔵小杉病院のHPや勝俣先生のブログも拝見しましたが、非常に充実しつつあると感じました。
勝俣先生が主治医だったらいいなと思いました。
がん患者の皆さんやご家族には、少なくとも専門科がある病院(腫瘍内科や血液内科のある病院)選びをお勧めします。その場合にがん専門病院が良いか、大学病院が良いかは微妙だと思いますが、大学病院の腫瘍内科であれば、治療に伴い発生する各種の副作用に対して「チーム医療」に期待することができるかもしれません。例えば、がん治療のあらゆる副作用に対して、内科、外科、整形外科、放射線科、歯科、耳鼻科、眼科、皮膚科、泌尿器科などあらゆる診療科がある大学病院の方が何かと便利だと思います。連携体制が無ければ無意味ですが・・・。がん治療については、がんを治すことが本来の治療ですが、副作用に殺される可能性も十分にあるのです。
また、医師との出会いが運命を分けるかもしれません。
信頼できる医師との出会いがたいへん重要だと感じました。
読書「がんばらない」 [読書]
「がんばる」という言葉に違和感を感じ、自分自身の中で整理ができなくなっていた。
そのものズバリのタイトル本「がんばらない」を読んでみた。
著者は、患者の来ない地方の幽霊病院を理想的な病院に変身させた立派な医師である。この本には終末期の患者を看取る心温かい人間模様が記されている。
いろいろな登場人物が出てくるが、ありのままに生きた人たちばかりである。
死ぬまで、ありのままに生きることが素晴らしいことなのだと気づかせてくれる。
人生すべてが競争ではない。
がんばって、がんばって勝つだけが人生ではない。勝てない人生だってある。
ありのままに生きれば良い。
「がんばる」という言葉は、自分自身に対してのみ有効な言葉であって、他人に対して使ってはいけない言葉なのではないか?と思う。
自分が頑張りたい時、頑張れる時に意識すれば良いのであって、頑張りたくない時や頑張れない時に、がんばってしまうと身体にも心にも良くないという結論に至った。
人にもよるのだろうが、しばしば、責任感や義務感が増幅し、無理をしてしまうことが少なくない。頑張れるかどうかは、やる気があるか無いかではなく、やり甲斐があるか無いかという価値観によるものだと思う。
責任感や義務感だけが先行すると頑張れない。頑張るためには原動力となる「志」が必要不可欠なのだ。そして、「志」という燃料が切れかかっている時にがんばってしまうと壊れてしまったり、動けなくなってしまうような気がする。
つまり、「がんばれ」という言い方は、自分自身に対する言葉であって、他人に対して使うのは非常に無責任なことだと思うのである。
言われた人が、もう既に限界まで頑張っている場合には、死ぬまで頑張れ、又は死ぬほど頑張れという意味になってしまうだろう。だから、この言葉は口癖のように軽々と言ってはいけない言葉なのだと思う。「がんばれ」は応援する言葉の域を超え、責める言葉になってしまう可能性があるのだ。
少し、整理ができたような気がする。
これまでの自分は、「がんばる」資格が無いのに頑張っていたのかもしれない。
だから、これからは「がんばらない」で行こうか?
いや、「がんばれる」ものを、もう一度さがしてみようかと・・・・・
今の仕事は嫌いである。今一度、好きになれるかどうか?
ダメならほかの仕事を探すしかないのだが・・・・
読書「全身がん政治家」スゴイ男がいたもんだ [読書]
政治家、与謝野馨氏の闘病回顧録である。
中曽根康弘氏の秘書を経て、衆議院議員初当選から10か月、39歳にして悪性リンパ腫を発症。しかし、秘書や事務所の人間、家族には内緒で、知っていたのは口の堅い運転手だけ、偽名で抗がん剤治療を繰り返し、治療期間は10年以上に及ぶ。
2度目のがんは62歳で発症した直腸がん、その翌年には前立腺がん、68歳で下咽頭がんになっている。
政界随一の政策通政治家でありながら、30年以上にわたり、4つの異時性多重がんと闘った記録は、非常に濃い内容である。
抗がん剤治療、放射線治療、手術、ホルモン療法、高気圧酸素治療など、治療内容が豊富であり、氏の治療に携わった一流の医師達が当時のカルテを元に治療の経緯を説明している。
政治家という激務を務めながら、度重なる入院や100回以上の通院に耐えられる精神力は見事である。
凄い男がいたもんだ。闘病経験者でないと解らないだろう。
政治に関心のあるがん患者やその関係者には、特におすすめです。
読書「死と闘わない生き方」 [読書]
芥川賞受賞作家で住職の玄侑宗久氏とがん医療の外科医、土橋重隆氏の対談本です。
特に土橋氏の考え方は私の考え方とシンクロします。
がんになる原因は解らないケースがほとんどだと思いますが、理由があるはずだということ。
その理由は「生き方」にあって、「生き方」から発生するストレスががんを作ってしまうのではないか?
「生き方」を変えれば、がんは治る。「生き方」を変えないとがんは治らない。
病気イコール悪いものではなく、意味があって起こる。つまり、生き方が悪い。生き方を変える必要がある。
土橋氏の経験では「治そうとしない人が逆に治ってしまう。」
これには私も同感なのである。
私の記憶に残るのはニュースキャスターの逸見氏の会見である。
「自分の精神力でこのピンチを乗り越えたい」と闘病からの生還を宣言していた。
がん患者の闘病ブログを見ても「絶対に負けられない」という意思表示は少なくないが・・・・・
現実には、医師に任せ、薬に任せ、治療に任せて、患者はひたすら耐えるだけ・・・・では治らないのである。
自分の力で治すことが基本で、多くの場合、医療は補助的なのだと思えてならない。
土橋氏は、がんは心の病気だと言う。心ががんをつくるから、心でがんを治せると・・・・
がんは頑張る人がなる病気だと・・・・
がん患者のブログの中には「頑張らない」という表現を使う人もいる。分かっている人なのかもしれない。
頑張る人ががんになってしまうのなら、頑張らない生き方をすればよいのだと思う。
また、土橋氏の経験によると、乳がんの場合、強い肉体的ストレスを受けた人は左側に、精神的ストレスが蓄積された人は右側にできるらしい。
5年生存率について、5年経ったら再発しないという解釈ではなく、医師の解釈は5年生存したら治療の効果があったと見なすという考え方だという。医師と患者の間には理解の仕方にギャップがあることを知っておく必要があるのだ。
治療しないで、治る人がいる。
がんになって、生き方が変わったとき、がんが治る。
自分の免疫で・・・・
つまり、がんを排除するだけでは治らないというのである。
余談になるが、体内記憶を研究した産婦人科医の話では、記憶をどんどんさかのぼると、前世の死の記憶を持っている子供が複数いて、閻魔様(えんまさま)に次の2つの質問をされるのだという。
(1)好きなことをやってきたか?
(2)楽しかったか?
1600人以上のデータから導き出されたそうです。
これを知って困りました。
私はまだ死ねない。答えに迷ってしまうから・・・・・
読書「死ぬ気まんまん」 [読書]
久しぶりに、今日は読書です。
タイトルに惹かれて読んでみたくなり、アマゾンに注文しました。
内容に共感するところが多く、居眠りしながらも、読破しました。
佐野洋子さんという、有名な絵本作家が癌でなくなった後に発表されたエッセイです。
この著者のことは全く知りませんでしたが、有名な方のようで、「100万回生きたねこ」という絵本が代表的な作品のようです。
「死ぬ気まんまん」とは、ご子息が漏らした話の中で「おふくろ、何かこの頃、死ぬ気まんまんなんですよね。」という言葉を使ったそうである。
著者は病院で癌の再発の告知を受けた帰りに、家の近くの車屋でブリティッシュグリーンのジャガーを買う。もう長くないなら老後のための貯金をとっておく必要もない。ジャガーは生涯愛煙家だった著者の貴重な喫煙室にもなった。
どうですか。面白い人でしょう?
著者は、「抗がん剤は拒否した。」と言っているが、治療中に抗がん剤の副作用と思われる体験談が記されており、抗がん剤とは知らされずに投与された可能性が高い。(おそらく、医者に騙されたことに気づいていないか、気づかないフリをしていたのだろう。)
著者自身は死と向き合い(恐れず)、死を待ち受ける覚悟があったからこそ、「死ぬ気まんまん」だったのだと思う。
ただ、それだけでは私自身が納得ができなかったので、ネットで彼女の代表作と言われている「100万回生きたねこ」の概要を調べてみた。
100万回生きたねこは、ある時は王様に、 船乗りに、サーカスの手品師に、泥棒に、お婆さんなど多くの人に飼われ、 飼い主になった人はいつもねこが好きで、ねこが亡くなる度に、みんな悲しくて涙を流した。
しかし、ねこは一度も飼い主を好きにならず、ある時、初めて、誰にも飼育されていない「のらねこ」になった。
立派なとらねこに生まれかわり、たくさんのメスねこ達が彼に接近したが、彼は自分のことを見向きもしなかった白い猫との恋愛を成就し、子供も育てた。
でもある日、 白い猫は静かに動かなくなった。
彼は初めて涙を流し、彼もまた、彼女の隣で、 静かに動かなくなった。
そして、ねこはもう生まれかわることはなかった。
100万回も生まれ変わってきたねこが、どうして生まれ変わることをやめたのか?という課題を読者に投げかける絵本であり、いろいろな解釈ができる。大人のための絵本である。
著者は二度の離婚歴があるようで、「死ぬ気まんまん」と併せて考えると、生まれ変われると信じていたのではないか?つまり、100万回生きたねこの最後の死とは異なるのだと・・・・、また、生まれ変われるのだと?
となると、猫はどうして生まれ変わらなかったのか?
・ 愛する者を失う苦しみを二度と体験したくない。
・ 白い猫への永遠の愛を貫きたい。
○ 一つの死は、愛する者たちに大きな悲しみを生むことがわかった。(自らが少なくとも100万人に深い悲しみを与えたことを後悔した。)
著者は、自分の人生に満足できなかったのではないかと思う。
著者はエッセイの中で、「死ぬのは平気だけど、痛いのは嫌だ。」と言っており、死は覚悟しているが苦しみたくない。
私も癌なのでわかるが、誰もがこの境地まで到達出るというものではない。
私は、彼女にほぼ同感できるのではあるが、健康な人はまず、「死にたくない」という想いが先立つのではないだろうか。
彼女には理想の恋愛イメージがあり、それを成就したかったが叶わず、人生をリセットするしかないと覚悟を決めたのではないか?
私も今、非常に残念ながら、「どうしても死にたくない」という理由が見つからないのである。
しかし、このブログのプロフィール写真の「ひまわり」を見ていただきたい。写真のはなびらは、半分しか開いていない。
つまり、私はまだ、自分の人生に満足していないのである。
したがって、これから死にたくない理由を探さなくてならないので、それまでの時間を稼がなければならない。
だから、「生きる」
副作用は嫌だが、リセットはまだだ。
入院前に購入した本を紹介します。 [読書]
(1)医師の説明を聞くための予習用と理解するための復習用に使用した本
①心配しないでいいですよ再発・転移悪性リンパ腫
※患者のために書かれたわかりやすい本です。
②血液診療エキスパート悪性リンパ腫
※専門医向けの難しい本でしたが、参考になりました。
(2)副作用対策として、食事の注意事項を調べた本
①抗がん剤放射線治療と食事のくふう
※退院時に白血球が減少していたので参考にしました。副作用別の注意事項がわかりやすい。
(3)死の覚悟と死に方を考えるために
※自分の死にどうやって向き合うかは、自分だけの問題では済まされない。
※自分の意思を大切な人に託す責任がある。
①お別れの作法
②一流の死に方
③僕の死に方エンディングダイヤリー500日
④永遠の別れ 悲しみを癒す知恵の書
⑤ミドル世代の危機を乗り越える!45歳からやり直す最高の人生
(4)その他
敦賀湾原発銀座「悪性リンパ腫」多発地帯の恐怖