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読み比べ 「患者よ、がんと闘うな」、「抗がん剤は効かないの罪」 [読書]

乳房温存療法のパイオニアとして知られ、かつて文芸春秋の連載で、がん治療の常識や社会通念に異議を唱えた慶應義塾大学医学部放射線科医「近藤 誠」氏の代表作「患者よ、がんと闘うな」と、近藤氏に対する反論をまとめた、日本医科大学腫瘍内科医「勝俣 範之」氏の「抗がん剤は効かないの罪」を読み比べてみました。

まず、近藤氏の本を一般の素人が読み進むと、ほとんどの内容に感心させられてしまうのですが、氏の主張を全面的に受け入れることには、素人なりに強い違和感を感じます。氏の主な主張は、①手術はほとんど役に立たない。②抗がん剤治療に意味のあるがんは全体の一割。③がん検診は百害あって一利なし。④がんは今後も治るようにならないだろう。⑤がんもどき理論(がんは転移する本物のがんと転移しない「がんもどき」がある。本物は早期発見できる5mmの大きさの時には既に転移している。「がんもどき」は5cmでも転移しない。本物は早期発見して手術をしても既に転移が始まっているので治らない。がんもどきならば、手術をしなくても転移しないので、がんを切除する必要がない。)というようなことが書いてあります。

一方、勝俣氏は、近藤氏の功績を認めつつ、臨床試験データのねつ造を指摘する近藤氏の誤解に関する解説、抗がん剤の目的には治癒と延命がある、分子標的薬の時代、専門医不足のため「副作用死」が起こっている、緩和ケアの治療効果など、腫瘍内科医らしい視点が盛り込まれていて、非常に参考になりました。

私自身は、ホジキンリンパ腫で抗がん剤投与と放射線照射の併用療法を受けましたが、近藤・勝俣両氏が言うように抗がん剤が非常に良く効く病気でしたので、標準治療(多剤併用化学療法+放射線療法)の選択に迷う余地はありませんでした。抗がん剤は非常に良く効きましたが、放射線治療が効いているかいないかは、全くわかりません。しかし、抗がん剤も放射線も副作用が酷かったので、もし再発した場合にはどちらの治療も拒否する可能性があります。

両者の本を読み比べて感じたことは、この二人の医師は、本来の専門領域が違うということです。近藤氏は放射線科医出身であり、本の中でも放射線治療の選択やその有効性についても述べられています。勝俣氏は腫瘍内科医で、がん診療全般の総合ナビゲートを目指し、分子標的薬や最先端の重粒子線治療や陽子線治療の注意点などにも触れ、ホスピスケアとの連携までも視野に入れています。

勝俣氏の本の中で印象的だったのは、日本では抗がん剤専門医の不足により10%以内の「副作用死」が起こっているという現実。抗がん剤の副作用の中で医学的に最も問題となるのが白血球の減少であり、感染症が発生した場合の対応が適切に行われず死に至るケースがあるということ。腫瘍内科医の数が日本には876人(2013年)しかおらず、圧倒的に抗がん剤専門医の数が足りないこと。その割合は米国の約1/16(日本の人口は米国の約1/2.5)、腫瘍内科医の専門制度は欧米より30年も遅れているという。

日本では、がんの手術適応を外科医が単独で決めることが多く、抗がん剤治療も外科医が行うことがほとんどだという。勝俣氏は外科、放射線科、精神腫瘍科、緩和ケア科、腫瘍内科と複数科によるチーム医療の必要性を唱える。それは、がんが再発・転移した場合には全身疾患となり、全身的なマネジメントが必要になるからだという。抗がん剤や放射線治療の副作用を体験した患者ならば、身をもって体験していることなので非常に良く理解できることだと思います。

私の主治医は血液内科医であり、自ら抗がん剤の専門医だと明言していました。私が通院している大学病院では、チーム医療的な連携は図られていたのですが、時々、各科のセクショナリズムに悩まされることがありました。

私は勝俣医師に、がん患者に対するチーム医療の充実、腫瘍内科医の育成と増員、緩和ケアとのさらなる連携促進を期待します。日本医科大学武蔵小杉病院のHPや勝俣先生のブログも拝見しましたが、非常に充実しつつあると感じました。

勝俣先生が主治医だったらいいなと思いました。

がん患者の皆さんやご家族には、少なくとも専門科がある病院(腫瘍内科や血液内科のある病院)選びをお勧めします。その場合にがん専門病院が良いか、大学病院が良いかは微妙だと思いますが、大学病院の腫瘍内科であれば、治療に伴い発生する各種の副作用に対して「チーム医療」に期待することができるかもしれません。例えば、がん治療のあらゆる副作用に対して、内科、外科、整形外科、放射線科、歯科、耳鼻科、眼科、皮膚科、泌尿器科などあらゆる診療科がある大学病院の方が何かと便利だと思います。連携体制が無ければ無意味ですが・・・。がん治療については、がんを治すことが本来の治療ですが、副作用に殺される可能性も十分にあるのです。

また、医師との出会いが運命を分けるかもしれません。

信頼できる医師との出会いがたいへん重要だと感じました。


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SEIKEN

 以前に、勝俣氏の本を読んだ感想をまとめていたのでご覧ください。私は近藤先生が本当のことを言っていると判断しました。
 
 勝俣範之医師の「抗がん剤は効かない」の罪、を読んだ。資料に基づいて、丁寧に説明しているが、次の点に疑問を感じる。
(1)「がんもどきと本物のがんを単純に分けられなということは少し勉強すれば誰でも分かるのではないでしょうか」と述べているが、誤解をまねく書き方だ。近藤誠医師は、「転移する癌と転移しない癌に分けられる」ということをわかりやすく言っているに過ぎない。勝俣医師はこれを否定する理由として、乳がんの治療方法の進歩を例に挙げ、医師側の治療方法が手術と放射線と化学療法の中から、有効な組み合わせを選択できるようになったことと、特定の遺伝子を分析することで抗癌剤の個人的な有効性や癌の再発可能性がある程度わかるようになったことを指摘している。(関連遺伝子の分析はまだ不確かで、多額の費用がかかる。)
 論旨は当然、患者のタイプに応じて、積極的な治療方法を選択できるという意味になる。吟味して読まないと気づかないが、がんもどき理論を非難する理由は「治療方針を人によって分けることができるから、転移しない癌と転移する癌に分類することはおかしい」というばかげた理屈になる。最先端の医療を行う者には癌のタイプが細かく分類できていると誤読させる目的で書いたと考えられる。そのためか、一般書にしては、専門用語が多い。
(2)勝俣医師は、乳がんにおいて非浸潤癌はおとなしい癌だから、近藤医師が「がんもどき」と言いたくなるのもわかるが、浸潤癌の中にも非浸潤癌になるものがわずかながらあるので、「非浸潤癌は100%がんもどき」というのはおかしいと述べている。そして「転移しない癌は最後まで転移しない」という、がんもどき理論を仮説に過ぎないと非難する。さらに、浸潤癌に変わった例として長期観察における非浸潤癌治療後、2612人中18%が乳房内再発を起こし、その半数が浸潤癌だったことを挙げている。しかし、これもおかしい。最初の非浸潤癌が浸潤癌に変わったという証拠は無い。(少し細かく言えば長期観察とはどのくらいの期間なのかわからないのも気にかかる。)また、勝俣医師自ら、「転移する癌としない癌を見分ける方法は無い」と近藤医師を攻撃する目的で、別な箇所で書いている。つまり、がんもどき理論は仮説に過ぎないと批判しながら、転移しない癌が転移する癌に変わるという理論も仮説に過ぎないことを示している。(転移した後でしか確認できないのでは、どちらの仮説が正しいか状況証拠を積み上げる以外に無い。)転移癌に変化するという仮説が権威に裏付けられた公式の見解ではあろうが、だから正しいとはならない。むしろ早期発見によって死亡数が変わらないという多くのデータは、仮説として、がんもどき理論の方が優れていることを示唆する。
近藤医師の、基幹細胞の能力を持った癌が転移する癌であるという仮説は非常に説得力があり、転移癌に関する多くの謎を説明できる。例を挙げれば、早期に原発病巣と転移癌が発見されたり、原発病巣の見当たらない転移癌が存在したりする理由は、検診にもかからないほど小さいうちに基幹細胞の能力を持った癌が転移したと考えれば良い。IPS細胞が癌化しやすいことからも、基幹細胞の能力が転移癌を生むことは容易に想像できる。また、乳幼児の癌に関しては早期発見が無意味かつ有害であることが公的に認められている。どんなに早期癌を手術して取り除いても総死亡数が変化しないからである。つまり転移しない癌をいくら取り除いても無意味なことを意味する。乳幼児の場合は何もしなくても転移しない癌はおそらくアポトーシスによって消滅するので、手術の無意味さが誰の目にも明らかになったのだろう。大人の場合は転移しない癌でも場合によっては命を落とす。(なぜなら消滅しないから。)これが誤解を生む原因の一つである。しかし、問題点はそこではない。癌の転移について、どちらが仮説として優れているかが問題だ。  
早期発見のメリットが確認できない現状では、転移しない癌が転移する癌に変化するという仮説よりも、がんもどき理論の方が仮説として明らかに優れている。  勝俣医師はネット上で、近藤理論を信じたばかりに増殖した胃がんが幽門部を塞いで大変な事態になった患者の例を挙げているが、これも論点のすり替えである。転移しない癌でも手術の必要な場合があることは近藤医師も説明している。仮にこれが近藤医師の間違った指示に基づく手術拒否だったとしても、それは別な問題である。近藤理論が間違っている例としては不適切だ。このように勝俣医師には論点のすり替えが目立つ。また免疫療法などのインチキ療法と並列させて近藤理論を論ずるなど印象操作も目立つ。そうかと思えば、近藤医師が過剰検診を批判した点は評価できるなど、自分もそんなことは理解していると言わんばかりの書き方をしている。そもそも過剰検診は早期発見理論に基づき行われている。つまり、転移する癌に変わらないうちに取り除こうというものである。もし、早期発見理論が本当ならば過剰検診であるという意味がわからない。統計的な無意味さから推し量って過剰と言っているのならば、なぜ検診が無意味になるのか、その理由を考えてほしい。早期発見理論は近藤医師の言うように仮説として破綻しているとしか思えない。
(3)抗癌剤の臨床試験における生存曲線について、効果があったことを示しながらも最後の方で急落している理由は「人為的操作があったからだ」という近藤医師の指摘に対して勝俣医師は「このグラフは観察を打ち切った患者が多くて、最後の一人が亡くなったときグラフが急落したに過ぎない」と言い、「打ち切りが多いので最後の方は不正確になるのは当然だ、世界中の誰からも問い合わせはない」と開き直った後、近藤医師の本で、グラフの急落を見て驚いている様子を記述した部分を紹介して、こんなことに驚いていると揶揄している。しかし、よく見ると、打ち切りが多くて最後どころか途中から信頼できないグラフになっている。そして近藤医師が人為的操作として、これまで一貫して数多く指摘しているのは観察を打ち切った患者を生きていることにカウントするグラフの作成方法である。いかに法的に正しくてもグラフの正確さに問題がある以上、患者にとっては不正である。ミスとも言えないような、わずかな読み取りミスを針小棒大に取り上げ、グラフの持つ根本的な問題について自ら認めてしまったことに勝俣医師は気づかないのだろうか。さらに世界中が認めた標準治療を否定する近藤理論はトンデモ理論だという雰囲気を意図的に醸し出す。
(4)医者が癌になったとき抗癌剤を使わないというのは本当ですか」という質問に、纏めると「使うときもありますし、使わないときもあります。乱暴な質問です」と応えている。普通、誰も問題にしない言葉の不正確さをまるで学生に対する態度で指摘し、回答を避けている。どう考えても、質問の意味は「患者に対して、抗癌剤を使う、その同じ状況で医者は自分に対しては抗癌剤を使わないのでしょうか」となる。それ以外に質問は意味を成さない。この質問には興味があるので答えて欲しいところだ。いつ読んだのか忘れたが、別な本に、「医者は自分と家族には抗癌剤を使わないし手術もしない」と書いてあったのを読んだ記憶がある。最も全ての医者がそうだとは思っていない。またさらに別な本に東京大学の癌関係の本には、「どういう病気で死にたいか」というアンケートに90%以上が「治療はせずに、緩和ケアならば癌で死にたい」と応えているとあった。勝俣医師だけではなく多くの医者が確信犯のようだ。
 以上、検討してみるとこの本は虚偽に満ちている。大方は正しいことを専門的に書きながら、要所で誤解させるように書いているので、そこだけ気を付けていれば結構、勉強になるかもしれない。ネットの記事を見てもそうだが、勝俣医師は近藤医師の開発した乳房温存療法など公的に世に認められている部分や、自分にとって実害のない過剰診断への攻撃については評価し、科学的で、客観的な態度を装っている。その上で自分が世界の標準治療を行っていること、及び、自分の高い専門性を強調し、近藤医師が無知であると読者が思い込むように文を作るのがうまい。
近藤医師が、がんもどき理論などと変なネーミングをするのは一般読者にわかりやすくするためであり、彼は一般の読者に何とか理解させるために苦労している。それを単純だとか、勉強不足だとか難癖を付けたり、専門用語を多用して誤魔かす態度は感心できない。勝俣医師だけではないが反論できないため、近藤は医学界では相手にされていないとか、もはや宗教だとか、言いふらす者がある。近藤医師ががんもどき理論について論文を発表しないわけはわからないが、勝俣医師は一般紙であろうが討論に応じたら良いだろう。

by SEIKEN (2016-10-10 21:50) 

ひさ

患者にとって、医師との関係は非常に重要だと思います。人には相性があるので、信じられる主治医なら、もしもの時にも感謝できると思います。
患者は、医師の指示や意見を超越して、自分の人生を選択すべきだと思っており、それが非常に難しい。
私は病院では死にたくない。

長文のコメントありがとうございました。
大変参考になります。


by ひさ (2016-10-12 06:29) 

SEIKRN

丁寧な回答ありがとうございます。
冷静に書こうとするのですが、つい怒りがこみ上げてきて攻撃的な文章になってしまうようです。私は別に近藤先生を盲信しているつもりはありませんが、最近、近藤先生の本を読んで面白いと思い、古本でまとめ買いをしました。次に、近藤先生の批判をしている勝俣先生の本を購入したら、私にはとても納得できる内容ではありませんでした。道徳的にというよりは論理的に納得できませんでした。
うちの84歳の爺さんに、いかに勝俣医師が酷いかを書いたこの間の纏めを読ませたら、「じゃあ、俺が腎臓癌の手術をしたのは無駄だというのか。それから、転移していたら何もできないのか」とか、言われて、いやそれは論点がずれているだろうと、説得したのですが納得できないようです。つくづく思いました。人間は論理だけではないと。
昨日、勝俣医師の「医療否定本の嘘」を読みました。今度の本はわかりやすく書いてありましたが、突っ込みどころは多すぎて付箋だらけになりました。「抗癌剤は効かないの罪」よりも嘘が多かったというよりも嘘だらけです。難癖をつけていると思われるのもなんですから、一つだけ素人を騙す簡単な勝俣先生の誤読誘導トリックの例を書きます。
近藤先生が、「上皮内癌は99%が、がんもどき」と言ったことを否定するために、勝俣先生は二つの例を挙げています。一つは超早期癌、二つ目は早期癌です。一つ目の癌は子宮頸がんで、放置したら3~5%が進行癌になったそうです。二つ目の癌は早期癌で、56人中36人が進行癌になったそうです。そして結論が、たとえ超早期癌でも、放置することなく治療が必要だということです。このように纏めて書くと論理がおかしいことはわかると思いますが、本文はもっとまぎらわしく書いてあります。一応、二つ目の文頭には、「まして早期癌なら」という一言はありますが、普通は気にしないで読みます。気にしたら結論が論理的に不整合なので簡単に誤読します。
くどいようですが、上皮内癌は超早期癌ですから、これを否定するためには超早期癌の例を出す必要があります。早期癌の例は不適切なのです。また、最初の論理的にある程度正しい例では3~5%というのは逆に言えば95%から97%はがんもどきということです。99%は言い過ぎだとは言えるかもしれません。しかし説得力がないので早期癌の例を誤読するように仕込んだと思われます。(蛇足ですが私なら数字をひっくり返しません)
また、第1例が、ある程度論理的に正しいと言ったのは、おそらく近藤先生はまわりに重要臓器のない乳がんを想定しているのに勝俣先生は子宮癌のデータをあげているからです。仮に近藤先生が癌全体について言っていたとしても、子宮癌だけに限定すると割合は変化するのは当たり前です。それでもたいした差になっていません。
このような誤魔かしや不適切な分類、意図的に誤読するデータが満載です。ただ、さーと読んだら気づきません。これだけ、嘘だらけだと意図的に素人を欺いているとしか思えません。
うちの爺さんにこのことを話したら、半信半疑でしたが、おそらく多くの人が同じなのだと思いました。医者の権威、医学界の権威はすごいものです。専門家がよってたかって素人を騙そうと思ったらひとたまりもありません。
 私は退職してから生きている意味を自問するようになりました。孤独な独り言だと思ってください。
by SEIKRN (2016-10-12 21:26) 

SEIKEN

先ほどは、またもや自分勝手なことを書きまして申し訳ありません。この間から興奮していました。真実は一つでないことは承知の上です。この世界には多くの意味が存在し、それぞれに物語を形成していると思っています。ただ、私は目の前の虚偽に対して取り乱していたようです。お騒がせしました。
by SEIKEN (2016-10-12 22:47) 

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